佐渡は寝たかよ 灯が見えぬ 〜佐渡島ダークサイド・ツーリング 2〜

曽我さん母娘が北朝鮮工作員に連れ去られ、小舟に乗せられたと思われる国府側の現場
日本ローカル旅

ついに上陸した佐渡島。佐渡で「まず、今」といえば、ユネスコ世界遺産の暫定リスト入りはしたものの、各方面からケチがつきまくって哀しい歴史がよりクローズアップされてしまった「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」だろう。

しかしながら俺的には、そういうメインストリーム的な観光よりも(てか、金山跡がメイン観光地ってのもどうかと思うが)、その史跡の地味さや歴史の後ろめたさに象徴されている様な、どこへ行っても濃厚に漂うであろうダークツーリズム臭をクラクラするほど感じたい!ってのが元々のねらいで(佐渡への謂れなき偏見はご容赦、他所者のイメージということで)。よって、フェリー内ルポ同様に金山ルポ自体は雑になりそうな気配…

コレもうどこだったか記憶曖昧だが、俺の夢想していた佐渡そのものな風景

日程もたっぷりとってあるので慌てて外周をビュンビュン回ったりせず、とりあえずは港から平べったい真ん中を突っ切って、地図上反対側の凹み「真野湾」へ。スンナリ到着、…ココね。「真野」でピンと来る人の方が今やはるかに少ないと思われるが、「曽我さん母娘拉致容疑事案」の現場、国府川河口である。

この度の旅はココからスタートすることにした。

「ホントにあった!」

コレまでニュースなど画面のみで見ていた国府川。動画よりもかなり水位が少なかったので、よりさらわれやすい印象

佐渡は外周を切り立った崖や岩場が取り巻いており、軽く流しながら「工作員はこんな海から上陸したのか?」と訝っていたが、着いてみればなるほどココが選ばれたのがわかる。河口付近は漁港や海水浴場からやや離れており、ボートで乗りつけるには人目を避けられるうえ、民家もそこそこ近い。おそらく当時はもっと背の高い草木で覆われていたと思われ、工作員にとっては「ここしかない」ほどの好条件(って言うな)に感じる。被害者を乗せ替えるための2段回目の小舟は、逆に入り組んだ岩場や崖に隠しやすかったのかもしれない。何より、日本海に出たら何も遮るものなくまっすぐ38度線である(ホントの真っ直ぐだと若干韓国領か)。だだっ広い農道(国道だろ)を走っているときに確かに「北緯38度」の看板を見た。

このやたら真っ直ぐな道は事件当時は絶対こんなんじゃなかっただろう。ガッツリ舗装してもなお、街灯は無いというね

田舎だけに道自体は70年代と大きく変わっていないようで、曽我さん母子が買い物に行った「雑貨屋」と思しき店も現存していた。そしてコレまた「ここしかない」と思われる拉致現場…いくらでも身を隠せ、目撃される距離での通行人がおそらく皆無の時間がガッツリあり、野原ショートカットで河原までチョイという条件。実行まで一体どのくらいここに潜んでいたのか知らないが、たまたまとはとても思えない(おそらくリハもしたはず)…

新聞地図などでは、このY字路の分岐から画面左側に連れ去られたことになっている

ここに限らず事件現場を訪れる際は(どうせどう転んでも単なる野次馬でしかない自覚を忘れず)、ご遺族含む被害者視点からなどおこがましくて見ることはできないし、卑劣な国家犯罪によって人生を狂わされてしまった曽我さんの心中をわかった気になどなって語ってはいけないという戒めもあり(まして働いてない警察やマスコミのマネするは嫌なので)、あえて犯人側視点で見聞するようにしているのだが、正直こんなところでさらいたくもさらわれたくもない、本当に気が滅入るゲンバだった。とってつけたようで申し訳ないが、1日も早い完全解決を願う。

ここから真っ直ぐ、何も遮るものなく朝鮮半島

特に「事件からジャスト何十年」でもなく、都会から役人の視察も来ておらず、次世代の子ども達の見学もなかったこの日は、本当に俺の周囲は数十分間完全無人(ちょっと離れたら工事の人がいたかな?)。なのになんかどっかから何かに見張られているような感覚が拭えず、アトモスフィアはもう十分と、ビビって鼻歌など歌いながら人の営みを求めてそそくさと吉牛に移動(退散)しましたとさ。ダーク佐渡、逆に幸先よし…か?

◉野磁馬