変わらずにそこにあるもの 〜旧上九一色村 A教団施設跡地〜 

30年にあたって法事があったと思しく、供花はまだ新鮮だった慰霊碑
事件サイトめぐり

1995年3月20日発生、オウム真理教による「地下鉄サリン事件」から今年で30年。教祖麻原の指示によって、警察のガサを妨害するために信者たちが起こした、世界初の化学兵器による無差別テロ事件。

事件当日の朝、当時通っていた新宿の会社に着くと同僚がテレビの前で硬直して画面を食い入るように見ていたのを思い出す。映っていたのは、地下鉄の出口付近で座り込んだりシートに横たわったりしている人たちの空撮。警察や救急隊員が慌ただしく動き回り明らかに只事じゃない雰囲気(あれは日比谷線のどっか?)。同僚「なんか、電車で火事みたいよ」…そこから「爆弾」などと情報が錯綜したのち数時間後、ようやく全貌が分かりはじめ「毒ガス」「サリン」の名前が出るに至って戦慄が遅れてやってきて、つい被害者達のように座り込んでしまったものだ。

実は俺その前日に渋谷の怪しからんホテルに女性と宿泊しており、その女性が普段通勤に使用していた電車での事件だったことが判明して結構なディレイで色々恐ろしくなった次第。

結局オウムの目論見は当たらず、2日後の教団施設への一斉捜索は予定通り行われた。その様子はテレビでつぶさに中継され、再び寒々とした興奮が日本中を包むことに。背後にドーンと富士山、粗末なだけに不気味さが際立つプレハブ施設(サティアン)群、ガスマスク装着で物々しい装備の警察の手には毒物検知用のカナリアなど、忘れられない映像の数々。

30年後の現在、どうなっているのか見に行ってきた。

原っぱなのでなかなか特定しにくい。地図検索する場合は「富士ヶ嶺公園」で

様々都市伝説界隈で噂される2025年。なんか正月の冠雪が異常に少なかったのが気になり、富士山自体がそろそろ見納めだったらヤだな、と今更ながらの「富士周遊ツーリング」へ。とはいえ生まれてから散々見ていた太平洋側のビューはスルーして、滅多にじっくり見ない裏側(っていうな)方面をを探る事に。

合宿免許以来ウン10年ぶりの御殿場に降り、「自衛隊富士」から“お浅間さん”前の須走、山梨に入って山中湖、忍野を廻って最後に旧上九一色村「オウム富士(っていうな)」へ。

「ホントにあった!」

オウムが見ていた富士。変な意地で山梨の富士に興味ないフリをしていたが、美しい…

教団施設群跡地は地名が変わっているため地図検索が難しく、30年法要のネット記事は多く出ていたが住所がハッキリしない。当時のニュースで「富士ヶ嶺地区」と書かれた地図があったので、アタリをつけて「富士ヶ嶺公園」を特定。コレ、「旧上九一色村石碑」とかで探すと精進湖畔の駐車場に行っちゃうので注意ね。あと、散々疑問視された(案の定当たらず今はもう無い)『富士ガリバー王国』が跡地だと言われていたが、それも誤報で実際は数キロ離れているのも分かった(どんだけ土地余ってんだ)。

この公園は第2〜第5サティアンがあったブロック。いわゆるリンチ棟が第2サティアンで、その跡地に被害者追悼の慰霊碑が建てられている。本当にポツンと。悪夢のサリン製造サティアン(第7)はまた別の場所だが、教団壊滅後も土壌からサリン成分が出ちゃったりしてホントに近隣の方々には迷惑な集団だったと思う。

慰霊碑。合掌

本当になにもない。春とはいえ山麓を吹き抜ける風は冷たく、なんにもないのをより強調する。

ただ富士だけがいつの時代も変わらずソコにあり、慎ましくも浅ましい有象無象の営みを黙って見ている。麻原や信者はどんな世界を思い描きながらこの富士を眺めていたのか…あの狂騒の時代や自分の来し方、行く末にまで想いが至り、必要以上ににブルーになったので早々に退散。

ヤバい場所だ。

◉野磁馬